黒澤明のお話


1998年9月6日、数々の名作を生み出した黒澤明監督は世界中から惜しまれ88才でこの世を去った。

黒澤明監督の作品に僕が最初に出会ったのは、1954年制作の「七人の侍」だった。
でも、中学生の当時の僕にはあまりおもしろさが分からずに、そのまま時が過ぎた。
それから、20歳を過ぎて仕事をし出してから、TVの枠で放映されだしてから、黒澤明の作品に興味を抱き始めた。
特に「七人の侍」、「用心棒」、「椿三十郎」、「天国と地獄」などには、深く感動し、黒澤明監督の偉大さを認識し始めました。
その後、本格的に見だしたのは、今のビデオ・レンタル時代になってからのことでした。
ビデオで初めて見る「生きる」、「わが青春に悔いなし」、「白痴」などにも感動し、一気に全作品を見たくらいです。
今では黒澤明監督のビデオ化されている全30作品のビデオを揃え、たまに見て感動を新たにしています。

黒澤明は,最初は助監督として経験を積み、1943年自ら企画、脚本化した「姿三四郎」で監督デビューを果たした。
1950年の「羅生門」がベネチア映画祭でグランプリを取り世界中の脚光を浴びる。
そして、1952年の「生きる」がベルリン映画祭で銀熊賞を受賞した。
その後も、三船敏郎とともに、ダイナミックに溢れ、人間の根元的強さ、はかなさを描き、世界に黒澤の名を知らしめた。
特に1954年の「七人の侍」は圧倒的なアクションと人物描写により、黒澤映画の代表作にもなった。
この「七人の侍」は、1960年に翻訳されジョンン・スタージェス監督により西部劇として映画化された。
また、「用心棒」はマカロニ・ウェスタンの「荒野の用心棒」「ラストマン・スタンディング」に焼き直された。
1975年にソ連映画「デルス・ウザーラ」でアカデミー外国語映画賞とモスクワ映画祭グランプリを取った。
1980年の「影武者」では、カンヌ映画祭グランプリを取った。
1990年にはその功績をたたえられアカデミー特別賞にも輝いた。

黒澤明監督は、ジョージ・ルーカスの「スターウォーズ」、フランシス・F・コッポラの「地獄の黙示録」、スティーンブン・スピルバーグなどに多大な影響を与え、世界中の映画人が敬愛した、日本映画界が誇る巨匠の中の巨匠として、その映画人としての魂は、映画の中に永遠に刻まれた・・・。

黒澤 明(1910.03.23.〜1998.09.06)

 

黒澤明ベスト5

@ 七人の侍  
A 用心棒  
B 椿三十郎  
C 天国と地獄  
D 隠し砦の三悪人  

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