スティーブン・スピルバーグのお話

スティーブン・スピルバーグは、1947年12月18日、オハイオ州シンシナティで生まれた。
少年時代から映画制作に非常に興味を持ち、12才で8ミリの短編を制作。
高校時代に両親が離婚し、母とともにカリフォルニアへ移住し、そこでカリフォルニア州立大学英語学科に進学するが、21才の時に撮った35ミリ短編「Amblin」が、ユニヴァーサルの副社長シャインバーグの目にとまり、同社とTV映画の監督として契約した。
のちにスピルバーグは自分の映画会社を設立するが、それがこの短編のタイトルからとってアンブリンと名付けられた。
1971年、TVムービーとして撮った「激突!」が認められ、アメリカ以外の国では劇場公開され、その後「ジョーズ」の世界的大ヒットで若手映画監督ナンバーワンの座に躍り出る。
それからの活躍はめざましいもので、「未知との遭遇」、「ET」、「インディー・ジョーンズ・シリーズ」などのヒット作を次々に飛ばし、現在、アメリカ映画史上の興業成績30位までの中には、彼の監督作「ロスト・ワールド」、「ジュラシック・パーク」、「ET」、「インディー・ジョーンズ3部作」、「ジョーズ」、「未知との遭遇」などがランキングされているヒット・メーカーである。
またスピルバーグは、監督業にとどまらず、プロデューサー業にも積極的に取り組み、「ディープ・インパクト」、「メン・イン・ブラック」、「ツイスター」、「バック・トゥー・ザ・フューチャー3部作」、「ロジャー・ラビット」、「グーニーズ」などの大ヒットを飛ばしている。
スピルバーグは、多くの大ヒット作と、監督にとどまらず、才能ある若手映画人を育ててきた積極的活動と功績に対し、1989年にアービング・サルバーグ賞が贈られた。
そして、1984年度アカデミー賞では、「シンドラーのリスト」が栄光の作品賞、監督賞、脚色賞、オリジナル作曲賞、など7部門を受賞し、まぎれもない巨匠として認められた。

スピルバーグの映画は、日本公開された「激突!」から全作見ています。
最初の「激闘!」から、即、はまってしまいました。

「激突!」の荒削りだが、姿を見せない相手による、スリルと恐怖・・・。
「ジョーズ」の迫り来る恐怖・・音楽も最高でした・・・。
「未知との遭遇」のマザー・シップとの遭遇シーンは、息を止めてみたものです。
「E.T.」の涙ウルウルになったあの感動・・・。
「インディ・ジョーンズ3部作」の理屈抜きのワクワク、ドキドキの冒険談・・・
「カラー・パープル」の映画の作り方は最高で、ウーピーの大ファンにもなりました。
「フック」も、ディズニー大好き、それも、ピーターパン大好きの僕にとって、ちょっと想像とは違ったけれど、それはそれなりに、夢を与えてくれました。
「シンドラーのリスト」・・・もうこれはなにも言えないくらいに、すべてが良かったです。
「ジュラシック・パーク」と「ロスト・ワールド」・・・恐竜大好きの僕にとって、細かい作りなど興奮してみました。

スピルバーグは、監督の名前だけで観客を呼べる唯一の人だと思っています。
「シンドラーのリスト」の文芸的作品と、「ジュラシック・パーク」などのSF、アクション系作品の両極端と言っていいほどの映画を作り、それも大ヒットさせた監督なんて今までいなかったのではないでしょうか?
これからも、いろいろ監督及び制作予定の作品が目白押しなので、楽しみにしています。

Steven Spielberg (1947.12.18〜 )

 

スティーブン・スピルバーグ・ベスト5

@ E.T.
A 未知との遭遇
B プライベート・ライアン
C インディジョーンズ魔宮の伝説
D カラー・パープル

シンドラーのリスト

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