2002年1月の1本

「ウエストサイド物語」

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しばらくこの「今月の1本」をお休みさせて頂いていて、久しぶりのアップです。

新しい年を迎えての「2002年1月の1本」は、大好きなミュージカル映画の中から「ウエストサイド物語」です。
シェイクスピアの名作「ロミオとジュリエット」を下敷きにニューヨーク・ウエストサイドに移し変えて人種問題、貧困問題を付け加えて描いて、大ヒットを放ったブロードウェイミュージカルを映画化した作品です。
この作品はミュージカルが苦手な人にも楽しめる作品だと思います。
歌の素晴らしさ、踊りの躍動感は、最高です。

どうぞお楽しみ下さい。

「ウエストサイド物語」(WEST SIDE STORY)
1961年 151分 監督 ロバート・ワイズ
出演者 ナタリー・ウッド、リチャード・ベイマー、ジョージ・チャキリス、リタ・モレノ

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ニューヨークのウエストサイド。
対立する不良グループのイタリア系のジェット団とプエルトリコ系のシャーク団はことあるごと争いをしていた。
ジェット団のリーダー、リフは今はジェット団を卒業したトニーを助っ人に頼み決闘でシャークス団をやっつけようとする。
その夜、体育館でのダンス・パーティーでジェット団とシャークス団はまたもや対立する。
パーティーに参加したトニーはマリアと出会い、互いに強く惹かれ合う。
だがマリアは対立するシャーク団のリーダー、ベルナルドの妹で腹心のチノと婚約させたいと思っていた。
トニーは2つのグループの和解につとめ、マリアとの交際をベルナルドに認めさせようとするが、高速道路の下で決闘が始まる。
トニーは決闘を止めさせようとするが、ジェット団のリーダー、リフが殺されてしまい彼を殺したベルナルドをはずみで殺してしまう。
決闘で兄ベルナルドがトニーに殺された事を知ったマリアは運命を呪うがトニーへの愛を捨て去ることは出来ない。
そこにトニーがやってきて、許しを乞い、一緒にどこか遠くへ逃げようと誘いドックの店で待つと告げて出ていく。
警察が事情聴取に来て、すぐには行けなくなったマリアは、アニタにトニーへの伝言を頼む。
だがドックの店に行ったアニタは、からかわれてひどい仕打ちを受け「チノがマリアを殺した」と嘘を言ってしまう。
マリアが死んだと聞いたトニーは、「チノ!俺も殺せ」と叫んで街へ飛び出していく。
そこで、ドックの店に向かうマリアと出会うが駆け寄る途中でトニーはチノの拳銃に撃たれてしまう。
トニーはマリアの腕の中で息絶える。
マリアは、「みんなの憎しみがトニーとベルナルドを殺した。」と叫ぶ。
そしてトニーの遺体はジェッツ団とシャークス団が一緒に担いで行く・・・。






摩天楼の遠景からウエストサイドの路地裏に徐々に近づいていって、フィンガーティップスとともに始まるオープニングの15分は、もう最高!・・・それだけでも見応えがあります。
セットもののミュージカルとは違い躍動感たっぷりのミュージカルです。

同じ監督の「サウンド・オブ・ミュージック」と共に躍動感たっぷりのオープニングといい、ミュージカル映画の金字塔です。
レナード・バーステインの音楽も名曲ばかり・・・「トゥナイト」「マリア」「アメリカ」「クール」など素敵な歌が一杯です。
「トゥナイト」「マリア」等は時々、ついつい口ずさんだりします。
「恋は永遠に」「ひとつの心」も大好きな歌です。

なんと言ってもジョージ・チャキリスの格好良さは当時大人気になりました。

この「ウエストサイド物語」は、第34回アカデミー賞で、最優秀作品賞、監督賞、助演男優賞(ジョージ・チャキリス)、助演女優賞(リタ・モレノ)、撮影賞など、10部門で受賞しました。

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主演のナタリー・ウッドは、1938年生まれで、1981年、事故で亡くなりました。
ロバート・ワグナーと2度、結婚しまし、妹のラナ・ウッドも女優になりました。
1947年「34丁目奇蹟」で有名になり子役として活躍したのち、1955年「理由なき反抗」、1961年「草原の輝き」、1963年「マンハッタン物語」、1965年「アメノニューオリンズ」、1965年「グレートレース」などに出演しました。

トニー役のリチャード・ベイマーは、1939年生まれで、1953年「終着駅」、1959年「アンネの日記」、1962年「史上最大の作戦」、そしてTVシリーズ「ツイン・ピークス」にも出演しています。

ベルナルド役のジョージ・チャキリスは、1934年生まれで、舞台でも同じ役を演じました。
1953年「紳士は金髪がお好き」、1954年「ホワイト・クリスマス」、1954年「ショウほど素敵な商売はない」などに出演し、「ウエストサイド物語」で大ブレイクしました。
その後、1963年「ブーベの恋人」、1963年「あしやからの飛行」などで人気が上がり、1966年「ロシュフォールの恋人たち」、1966年「パリは燃えているか」などに出演しています。

アニタ役のリタ・モレノは1931年生まれのプエルト・リコ出身で、舞台でも同じ役を演じました。
1952年「雨に唄えば」、1956年「王様と私」、そして1990年代はTVで活躍しています。

リフ役のラス・タンブリンは、1934年生まれで、舞台でも同じ役を演じました。
1954年「掠奪された七人の花嫁」、1958年「親指トム」、1962年「不思議な世界の物語」、1963年「長い船団」、1966年の東宝特撮映画「フランケンシュタインの怪獣・サンダ対ガイラ」など、そしてTVシリーズ「ツイン・ピークス」にも出演しています。

監督のロバート・ワイズは、1914年生まれで、「サウンド・オブ・ミュージック」と「ウエストサイド物語」でアカデミー監督賞を2度、受賞しています。
1951年「地球の静止する日」、1956年「傷だらけの栄光」、1956年「私は死にたくない」、1966年「砲艦サンパブロ」、1968年「スター!」、1971年「アンドロメダ・・・」1979年「スター・トレック」など数多くの作品の監督をしています。

作曲のレナード・バーンスタインは、1918年生まれで1990年に亡くなりました。
1943年彼はワルターの代役でニューヨーク・フィルを指揮してデビューし、1957年にこの「ウエストサイド物語」が大ヒット、同年ニューヨーク・フィルの首席指揮者に就任し、翌年から1969年まで同フィルの音楽監督を務めました。
その後、ニューヨークを離れてからは各地の名門オーケストラを指揮し、数々の名演奏を残しています。

タイトルデザインのソウル・バスは、映画のタイトルを革新したことで有名なアメリカのデザイナーで、ヒッチコックの「めまい」「北北西に進路を取れ」「サイコ」のタイトルデザイン等で有名です。
「ウエストサイド物語」のエンドクレジットも印象に残ります。


「ウエストサイド物語」ミュージカル・ナンバー

01.プロローグ(PROLOGUE)

02.ジェット・ソング(JET SONG)

03.何か起りそう(SOMETHING'S COMING)

04.体育館でのダンス
     (ブルース〜プロムナード〜ジャンプ)
       (
DANCE AT THE GYM(BLUES,PROMENADE,JUMP)

05.マリア(MARIA)

06.アメリカ(AMERICA)

07.トゥナイト(TONIGHT)

08.クラプキ巡査への悪口(GEE, OFFICER KRUPKE)

09.アイ・フィール・プリティ(I FEEL PRETTY)

10.ひとつの心(ONE HAND, ONE HEART)

11.クインテット(QUINTET)

12.ランブル(THE RUMBLE)

13.恋は永遠に(SOMEWHERE)

14..クール(COOL)

15.あんな男に〜私は愛している
           (A BOY LIKE THAT〜I HAVE A LOVE)

16.恋は永遠に(REPRISE : SOMEWHERE)



Lyrics by Stephen Sondheim

Music by Leonard Bernstein

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2002年1月の1本の「ウエストサイド物語」は、いかがでしたか?
まだ見ていない方は、是非、ビデオでご覧になって下さい。

それでは、次回の作品をお楽しみに・・・。

 

 


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